『どんなにきみがすきだかあててごらん』
サム・マクブラットィ ぶん
アニタ・ジェラーム え
小川仁央 やく
評論社
『どんなにきみがすきだかあててごらん』
私はこの本が大好き。子育ての時に出会って、幾度の断捨離を経た本棚に今でも生き残っている可愛い2匹のウサギが表紙の可愛い絵本(^^)
2匹のウサギがお互いが自分のほうが大好きだと言い合う微笑ましいお話、そんな愛おしさに包まれた優しい世界
この絵本のウサギは友達なのか親子なのか、どちらともとれるような…。親子の愛情も友達との友情もこんな愛おしさに包まれていたなら素敵
「ぼくのほうが大好きだよ」
この絵本のウサギが言う
子どもが小さい時にだけある、ママが大好きだととびきりの笑顔で言ってくれるあの僅かな甘い時間をこの絵本を読むだけで思い出す。
この笑顔を見せてもらえるのは母親の特権だ(*^^*)
そのうち、大好きだよと言う甘い言葉もとびきりの笑顔もママには見せなくなる。
”順調な成長だよ”とか、”いつまでもそんなのだったら怖いよ“などの周囲の言葉に納得しつつも現実は少し寂しい。もう決して手に入らないからなのか、今更ながら貴重な期間限定の愛おしい思い出だった。
その後には、何が面白くないのか常にムスっとした顔をする時期が来た。その面白くなさそうな顔をふ~んという顔をしてやり過ごす。そんな顔をみるのも母親の努めなのか。
そんな時期にも本棚には可愛いウサギが“大好きだよ“と言ってる可愛い愛がある。
本はいいな。
子どもが読んでほしい本とママが読み聞かせしたい本が違った
子どもが生まれたら絵本と再会するのを楽しみにしていた。自分が好きだった本を読み聞かせしよう!飛び出す絵本とかあるらしい!読み聞かせをする時期を楽しみに待っていた。
自分が持っている一番優しい声で子どもが眠りにつくまで、好きなだけ絵本を読んであげよう。きっと優しい子になるぞ!そんな風に思っていた。
そして現実を知ることになる。小さい子どもにも好みがある。子どもが読んでほしい本とわたしが読み聞かせしたい本が違った。
私が用意した数々の絵本ではなく、自分が気に入った本を、気に入ったページを、何度も読んで!と無邪気にねだる。これぞ無限地獄。。。
「もう一回読んで~」
(もうこの本何回も読んだよ~何で毎回同じシーンでうけるの?)
これはもう何かの修行なのか、やってられないな!何かいい方法はないのか?無限地獄から脱出するために、思いついた作戦をどんどん実行する。よし!今日は一行読み飛ばし作戦だ!いっそ1ページ読み飛ばしてやろう!と次々と作戦を実行するが、すぐにバレる。
娘がすぐに
「ママ間違ってる!」と言ってくる。
「ママ間違ってる!ちゃんと読んで!」
日中自分が何かで言われた「ちゃんとしなさい!」を使いこなして早速言ってくる。
文字読めないくせに暗記してるんだ…。
子どもが望むように読み聞かせをするのが母親のセオリーなのかどうかは知らないけど、私にとっては修行(>_<)
何か別の作戦を考えねば…。
そこである事を思いつく。自分で読めばいいじゃん!字を読めるようになれば本人が読みたい本を読めるじゃないか。この無限地獄から解放されたい!理想のママはどこに行ったんだ(*’▽’)
よし!ひらがな覚えるよ!自分勝手な母親の子どもは早々にひらがなを読めるようになった。
作戦は成功!
子どもが生まれた時思い描いた優しい読み聞かせをするママにはなれなかった。読み聞かせをするママは素敵だけど、私には無理だった。
ママが読み聞かせたい本ではなく、自分で読みたい本を選ぶようになった
それから、図書館や本屋さんに行くとママが読み聞かせたい本ではなく、自分で読みたい本を選ぶようになった。
自分で読めそうな本を探す。好きな本を選ぶ子どもに口を出す。
「なんか布絵本あるらしいよ!」
「この絵本良さそうじゃない?」
これもこれで幸せな時間。本を読むのって楽しいね。
ママ、本を読むのが好きなんだよ!読み聞かせは無理だけど、一緒に図書館とか本屋さんとかにいっぱい行こう。
子育ては理想通りにはいかなかった。私も理想のママにはなれなかった。
子育ては理想通りにはいかなかった。私も理想のママにはなれなかったし、子どもも子どものタイミングがある。
いろんなことにタイミングが合わなかったり、人生の遠回りの時期も、沢山読んだ本が励ましてくれる。
『どんなにきみがすきだかあててごらん』
図書館や本屋さんで見かけたら手にとって見てください。
素敵な本です。
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